私の人格形成に影響を与えた書物と思索 1
小林 誠(こばやし・まこと)
著述業・哲学研究者
略歴
1958年 | 埼玉県に生まれる。 |
慶應義塾大学経済学部卒 | |
現 在 | 著述業 哲学研究者 日本哲学会、日本科学哲学会、日本法哲学会、会員 (日本哲学会については、元日本哲学会会長の沢田允茂先生が拙著『価値判断の構造』について、「博士の学位論文に十分になり得る。」と言ってくださり、同学会に入会したものである。) |
専 攻 | 哲学(哲学的価値論、存在論、意味論) |
著 書 | 『価値判断の構造』(恒星社厚生閣、1998年) (価値についての理論的問題の双璧とも言える、「善い」という概念の解明と価値言明の真理性の問題を主たるテーマとし、基本的に自然主義の立場に立つ自分の見解を提示した、メタ倫理学に関する体系的モノグラフィー) この『価値判断の構造』は、人事院の作成する平成30年の国家公務員試験〔大卒・総合職〕(旧国家公務員上級試験)の試験問題に採用された。 『「存在」という概念の解明 ― 新しい存在論原理の展開』(北樹出版、2021年) (「『存在』という概念の解明」〔「存在する」という言葉によって、私たちは一体何を言おうとしているのか、の解明〕という、古代ギリシャ以来二千数百年間未解決であり続けた難問の解決を試みた著書) |
私の人格形成に影響を与えた書物と思索
〔1〕 この度は、玉田勝博社長が二十代の青年であった時に設立された「玉新社」(以下、「貴社」と記させていただく)が設立四十周年を迎えられるということで、大変おめでたい次第である。貴社に今日まで多大の恩恵を賜って来た私にとっては、それは誠にご同慶の至りである。
昨今、多くの企業の興廃を見る中で、貴社が四十年にわたって堅実な成長を続けて来られたことは、第一に玉田社長のすぐれた経営的手腕によるものであり、さらにそれに加えて、歴代の社員の方々のご精励によるものであると思う。
私は、玉田社長とは、私が以前勤務していた職場で初めてお会いした時から、既に三十年以上のお付き合いになる。その間、私の出版物に関しては、貴社に、(私がパソコンが不得手であったことなどから)私の出版用の手書きの原稿をすべてパソコンで活字にしていただき、冊子の形にしていただいた。私の出版物はすべて、その冊子を出版社に送って出版したものであった。
そして、私は、もはや貴社の一人の客という立場を超えて、玉田社長とは友情とも言える「強い信頼関係」で結ばれている、と自分では考えている次第である。
その玉田社長から、私は、先日、「会社の四十周年記念のために何か文章を書いてほしい。」とのご依頼を受けた。私は、「私でよろしいのですか。」と申し上げたのであるが、社長は「はい、お願いします。」と言われるので、私は、僭越ながら、快くお引き受けさせていただくことにした次第である。
社長のご希望だと、より具体的に、筆者である私の人生や人格形成に影響を与えた本を中心に文章を書いてもらえると嬉しい、というお話であった。
以下において、私は、「私の人生や人格形成に影響を与えた本」を中心に、常日頃考えていることなども織り交ぜて、拙文を草することにしたいと思う。
〔2〕 もう今から五十年以上も前のことであるが、私が小学四年生の時の国語の教科書に、「しあわせの島」という物語が載っていた。細部については記憶があいまいなのであるが、概略次のような話であった。
ある村に、遊んでばかりいる若者たちがいた。若者たちは全く仕事をせず、昼間から飲んだり食べたりして遊んでばかりいた。
ある一人のおじいさんがそれを見かねて、若者たちに、少しは仕事をするようにと言った。しかし、若者たちは、そのおじいさんの言葉に全く耳を貸そうとはしない。おじいさんは、何度も若者たちに、遊んでばかりいないでちゃんと仕事をするようにと忠告したのだが、若者たちはおじいさんの言葉を無視して全く生活を改めようとはしなかった。
そのような状態がしばらく続いた後、おじいさんが村から姿を消してしまった。
初めのうちは、若者たちは、そのことを大して気にも留めなかったのであるが、何か月もおじいさんの姿が見えないので、そのうち若者たちは「おじいさんは一体どうしたのだろう。」と話すようになった。若者たちもおじいさんのことが心配になって来た。「おじいさんは死んでしまったのだろうか。」と思うようになった。
そんな折、おじいさんがひょっこり若者たちの前に姿を現した。
若者たちは、おじいさんに、「一体どこに行っていたのか。」と尋ねた。おじいさんは、若者たちに、「わしは、しあわせの島に行っていたのだ。」と言った。「その島は、果物などの食べ物があり余る程たくさんあって、お酒などの飲み物も豊富にある。毎日毎日遊んで暮らせる島なのじゃ。」と言った。
若者たちは、おじいさんに、「是非その『しあわせの島』に行きたい。その『しあわせの島』に連れて行ってくれ。」と頼んだ。
おじいさんは、「その『しあわせの島』はとても遠いところにあるから、そこに行くには船を数隻作って、かなりの量の食糧を準備しなければならない。」と若者たちに言った。
若者たちはどうしても「しあわせの島」に行きたかったので、それから、船の製造や食物の栽培など一生懸命働き始めた。
1年が過ぎ、2年が過ぎた。
3年経って、ようやく「しあわせの島」に行くのに必要な船と飲み物や食糧の準備ができた。
若者たちは、おじいさんに「しあわせの島」に連れて行ってもらおうとして、おじいさんを探したが、おじいさんは見当たらない。やっとのことでおじいさんを見つけたが、既におじいさんは亡くなっているようであった。
しかし、おじいさんのポケットに1枚の紙が入っていた。若者たちは、「この紙に『しあわせの島』へ行く方法が書いてあるのかもしれない。」と思って、その紙を見てみた。
その紙には、「しあわせの島など、他にどこにもないのじゃ。ここがしあわせの島なのじゃ。」と記されていたのであった。
五十年以上前に読んだ話なので、細部においては多少の記憶違いの点もあるかもしれないが、「しあわせの島」は概ね以上のような話である。
私は、この「しあわせの島」の話が気に入っていたので、中学生になっても、高校生になっても、この話を忘れることはなかった。
しかし、大学に入り、二十歳を過ぎた頃から、私はこの「しあわせの島」の話にある種の疑問ないし不満を持つようになった。
それは、「しあわせの島」とは、若者たちが一生懸命働いてその結果、船が何隻かでき、食べ物や飲み物が見違える程豊富になった島なのではなくて、むしろ、若者たちが「しあわせの島」へ行こうとして努力していた時、すなわち目的に向かって一生懸命働いていた時こそ、本当の意味において「しあわせの島」だったのではないか、という考えであった。私は、「人生」とは、そういうものではないかと思うようになったのである。
もちろん、よい結果が得られることは、とても嬉しいことである。私は、そのことを少しも疑わない。
しかし、よい結果が得られるように懸命の努力をしている時こそ、「人生の本当の醍醐味」があると、私は思う。ある人が、よい結果を得ようと懸命に努力している時、彼は、「確実に、人生を生きている」のであり、そのことこそ「人生における最大の価値」の一つなのであって、それによって得られた結果は、― あえて、極端に言えば ― むしろ、いわば「人生のアクセサリー」である。
私は哲学の研究に携わっている身であるが、もちろん自分の研究によって哲学の未解決の問題が解ければ大変嬉しい。嬉しくないなどと言ったら、全くの嘘になる。本当に嬉しい。しかし、哲学の未解決の問題を解こうと必死に考えている時、その時こそが「しあわせの島」〔自分が人生を生きていることの証し〕なのであると、私は考えている。
哲学の未解決の問題が解けること(すなわち、結果)が人生においてあまり価値がないなどとは毛頭思わないが、それどころか私は、実際それにも極めて大きな価値があると考えているが、しかし、それにもかかわらず、私は、「人生における最大の価値」の一つは、むしろその問題を解こうと全精力を傾けて懸命に考えている時にある、と思う。
全エネルギーを傾けて何かをしている時、すなわち懸命に生きている時、それこそが最も素晴らしい時なのであり、「人生の最大の価値(の一つ)は、そこにある」と私は思う。全エネルギーを傾けて目標に向かって何かをしていること、すなわち懸命に生きていることは、「人生そのもの」である。
「人生とは、唯一回限りのこの世界への招待であり、人生の目的は、この世界が蔵する(種々の)価値を深く味わうことである。」と考えるならば(私は、そのように考えている)、全エネルギーを傾けて目標に向かって何かをしていること、すなわち懸命に生きていることは、それ自体、まさに「この世界が蔵する(種々の)価値」の最も大きな一つを深く味わうことに他ならないのである。
誤解を防ぐために繰り返すが、私は努力の結果得られたものに価値がないなどと言うつもりは、全くない。私は、それにもとても大きな価値がある、と考えている。
けれども、私は、自分の全エネルギーを傾けて目標に向かって何かをやっていることと、それによって得られる結果とを比較した場合、「人生におけるより大きな価値」は、後者にではなく、前者にある、と考えているのである。
私には、「人生観」において、「結果」を「人生そのもの」より上に置くことは、「主客転倒」であると思われるのである。
かつて、エリック・ハイデンという米国出身のスピードスケートの選手がいた。1980年の2月にアメリカのレークプラシッドで開催された冬季オリンピックにおいて、彼は500m、1000m、1500m、5000m、10000mのスピードスケート全種目の競技において金メダルを獲得した。史上初の5冠達成であった。
後日、私がとっていた新聞の朝刊に、史上初の5冠達成についてのハイデンの感想が載っていた。
彼は、「金メダルなど、自宅のタンスにでも放り込んでおけばよいのだ。大切なことは、そのために、できる限りの努力をしたということなのだ。」という趣旨のことを述べていた。
彼は、ポーズのために、すなわち格好をつけるために、そのように言ったのでは全くないと思う。彼は、心底本当にそう思って言ったのだと思う。彼は、結果よりも、その結果を得るために懸命に努力することに、人生における本当の「しあわせの島」がある、と考えていたのだと、私には思われる。
因みに、ハイデンは、その後スピードスケートの選手を引退し、米国の名門スタンフォード大学の医学大学院〔School of Medicine〕に入学し(因みに、アメリカの大学(の学部)には、医学部は存在しない)、そこを卒業した後、現在は名声の高い整形外科の医師になっているということである。
私は、今まで、自分の全エネルギーを傾けて目標に向かって何かをやっていることに「人生における最大の価値」(の一つ)がある、と述べて来たが、私は、そのことだけに(排他的に)「人生における最大の価値」があると考えているわけではない、ということを述べておきたい。
すぐれた音楽を聴いて感銘を受けることや、気の置けない友だちと歓談して楽しく充実した時間を過ごすこと等も、(私が「人生の目的」としている)「この世界が蔵する(種々の)価値を深く味わうこと」であり、それぞれ「人生における最大の価値の一つ」と言ってよい、と思っている。
私が、上記において、自分の全エネルギーを傾けて目標に向かって何かをすることの価値を強調したため、誤解を与えることになってしまったかもしれないので、ここに、このこと〔前述の内容〕を記しておく次第である。
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